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『関ジャム完全燃SHOW』Kinki Kids出演回が傑作回だった!

『関ジャム完全燃SHOW』Kinki Kids出演回が傑作回だった!

8月27日放送の『関ジャム 完全燃SHOW』が、またしても傑作回だった! なにしろ今回は今年デビュー20周年を迎えたKinKi Kidsのふたりをゲストに迎え、彼らの音楽的魅力を関係者の証言も交えて解き明かしていくという内容だったわけだが、結果的にそれはKinKi Kidsの音楽的魅力に留まらず、「KinKi Kidsとはなにか」、「KinKi Kidsにとっての『ふたり』とはなにか」という根本的命題にまで迫る、なんとも『関ジャム』らしいディープな回になったからだ。

1997年のCDデビュー以来ミリオンセラーを連発、最新シングル『The Red Light』までの全38作品が連続オリコンチャート1位という、ぶっちぎりのギネス記録を保持しているKinKi Kidsが、日本のポップ史にその名を刻むデュオであることに異論はないだろう。そんな彼らの音楽についてしばしば言及されるのが、常にその楽曲がある種の「陰影」、「哀愁」を含んでいるということだ。デビュー曲の“硝子の少年”や“愛されるより 愛したい”のようなマイナーコードのナンバーは言うに及ばず、たとえば“フラワー”のようなレゲエ調の曲にすら、そのハッピーで眩しい陽光から遮られた、日陰の湿った場所がひっそりと存在するのだ。

そんなKinKi Kidsの楽曲の特性について、番組では彼らに楽曲提供したアーティストがゲストコメンテーターとして解説していくのだが、織田哲郎はそのKinKi Kids特有の陰影、哀愁をフォルクローレの旋律に託したのが“ボクの背中には羽根がある”であると証言し、“薔薇と太陽”を提供した吉井和哉はそれを「70年代的」だと評した。また、KinKiのふたりの親友としても知られるTOKIOの長瀬智也は「ドラマティック」だと形容した。彼らのどの証言もなるほどと膝を打ちたくなるものだったし、KinKi自身も自分たちのその音楽特性を「何を歌っても暗くなる」と認めていたのも面白い。そして彼らのその認識、KinKi Kids「らしさ」への自覚とある種のプライドが生んだのが、ふたりが作詩(堂本剛)作曲(堂本光一)を手掛けた珠玉の名曲“愛のかたまり”だった……というエピソードもグッとくるものがあった。

ちなみに“愛のかたまり”は後輩のジャニーズJr.に脈々と歌い継がれている、ジャニーズの定番レパートリーとでも言うべき楽曲だ。しかし同時に、この曲は誰もが気軽に歌える曲ではないし、誰もが簡単に歌いこなせる曲でもない。ジャニーズファンが納得できる“愛のかたまり”を披露できるジャニーズは多くないし、だからこそ逆に、どこかセクシャルで陰りと湿りを帯びた声と佇まいを持つジャニーズアイドルにとっては、最良のアピール曲にもなってきた。また、これまたシンメトリー曲の定番である彼らの“カナシミ
ブルー”も、これをシンメで歌うジャニーズアイドルには常にKinKi Kidsのような背中合わせのケミストリーを見出したくなってしまうのが面白い。そう、そんなこの2曲に象徴されるように、KinKi Kidsのナンバーが秘めた陰影と哀愁は、常にそこに「物語」とその裏側を追い求めずにはいられないものなのだ。ジャニーズの数多くのユニット、数多くの名曲の中でも、これはKinKi Kidsのキャラクターと彼らの楽曲の突出した個性だと思う。

そして今回の『関ジャム』のもうひとつ大きなお題となっていたのが、冒頭にも書いたように「KinKi Kidsとはなにか」というさらに根本的なテーマだった。このテーマについて最初に口火を切ったのが、“カナシミ ブルー”を筆頭に数多くのKinKi曲を手掛けてきた堂島孝平だった。彼はKinKi Kidsの歌はまるで「ひとつの人格」のようで、ふたりの声の重なりが完璧すぎて、ひとりで歌っているように聞こえる瞬間があるとし、「こんなデュオは他にいない」と証言した。
ちなみに堂本剛&光一自身の証言によると、ふたりは互いの声を聴かない状態で個別にレコーディングを行い、コンサートでもイヤモニ越しに互いの声をほとんど意識しないのだという。それでも常に「だいたい合っている」(光一談)というミラクル、そしてむしろ無意識では合いすぎる、重なりすぎるから、ミックス段階で意識的にレベルをズラし、「ふたりですよ感」(剛談)を出すのだという裏話も、本当に驚異的なエピソードだった。
つまりこれは、一般的な対人関係における「無意識」と「意識」が、KinKi Kidsのふたりにおいてはほとんど真逆の意味を持っているということだ。彼らは無意識だと合いすぎる、個の境界線が溶けてシンクロしすぎるから、意識して差別化し、互いを個として尊重する。堂本光一はそれを「無意識の中の意識」と表現したが、このふたりのケミストリーが明かされたのが今回の『関ジャム』の最大のクライマックスだったと個人的には思った。また、ふたりで曲を合作する際に堂本剛は堂本光一に歌ってほしい詞を、堂本光一は堂本剛ならどう歌うかを想像しながら楽曲を作るという話も出たが、こうして自分のクリエイティヴィティを相手に対象化していくある種の客観性が、結果としてパーソナルな自分自身に立ち戻ってくる、それが「ふたりでひとつ」の唯一無二のKinKi Kidsを象っていくというのも納得のいく話だった。

ただし、ひとつ確認しておくべきは、彼らは双子やクローンのように似ているから重なるわけではない、ということだ。名字が同じであること、声質が似ていること、それ以外の点においては堂本剛と光一はむしろ似ていないことのほうが多いからだ。たとえば最新シングル曲“The Red Light”を提供した久保田利伸がふたりを「ファンク(剛)とロック(光一)」と喩えたように、そもそもの音楽性の嗜好にはかなりの差がある。共に作詞作曲からポストプロダクションに至るまでマルチな音楽スキルを持っている前提に加え、堂本光一は豊富な舞台経験も含め、エンターテイナー&パフォーマーとしての際立った才能の持ち主でもあり、堂本剛は様々な音楽プロジェクトを筆頭に、ギタリスト&シンガーとしての際立った技量の持ち主でもある。その差異は、ふたりのソロワークにも明らかに見て取れるものだ。しかし、それであってなお、KinKi Kidsはこのふたりでなければひとつにはならないのだ。

双子のように、クローンのように、生まれながらにシンメトリーなふたりがたまたま出会った、それがKinKi Kidsの凄さなのではない。むしろ、たまたま同じ姓の下に生まれた赤の他人であるふたりが、そのアシンメトリー性にも拘らず、なぜか「ふたりぼっち」の状況においては運命の片割れのようにぴったりと重なり合う、それこそがKinKi Kidsというデュオの奇跡なのだと、改めて気づかされた『関ジャム』だった。(粉川しの)

『関ジャム』で解き明かされた、KinKi Kidsの運命の片割れのようにぴったりと重なり合うその「奇跡」 (rockinon.com) - Yahoo!ニュース

 

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