『ぼくらの勇気 未満都市』の20年ぶりに放送を決めた理由をプロデューサーが語る②
『ぼくらの勇気 未満都市』の20年ぶりに放送を決めた理由をプロデューサーが語る②
──大人というか権力がいろいろなことを隠しているという、まさに今の時代を先取りしていますよね。
そうですね、自分で見返して、びっくりしました。ほんと、こわいですね、今起きていることとリンクしているから。
──共謀罪法も施行されましたし。
そう、あと原発の問題や豊洲の問題などもね……。当時も、地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災、酒鬼薔薇事件など、我々の想像を超えることが起こり始めた時代だったんですよ。みんなが、これまで当たり前に送ってきた生活がふいになくなって、どこに気持ちの軸足を置いていいか、不安になる時代だった。あと、矢田亜希子さんが、ルーズソックスをはじめて履いた人と言われているのですが、そのルーズソックスブームがあって、いわゆるコギャルっていうのかな、女の子がちょっとギャル化して、生活スタイルも変わってきたんです。茶髪でルーズソックス履いて、夜の街を徘徊するようになって……。
──『ラブ&ポップ』の世界ですね(村上龍の小説は96年、映画化されたのは98年)。
とにかく女の子が派手になったんですよね。ポケベルからケータイに移り変わっていく時期でもありましたよね。
──すべてにおいて、時代の端境期だったんですね。
『金田一少年~』の時はなかったですよ、ケータイが。一(はじめ)ちゃんはケータイではなく家の黒電話を使っていました。当時は、電話線を切ることで、連絡手段が遮断できる時代だったんです。今はもうそれができなくなりましたね。
──ケータイの出現によってミステリーも変化していった。
ケータイは推理ドラマには天敵です。隔絶させた世界が作れなくなりますから。
──密室ミステリーの崩壊ですね。そんな時代に、櫨山さんと堤監督は新たな価値観のドラマを生み出し、それが認められていった。偉業だと思います。
土曜9時(土9)の枠は、『家なき子』(94年)や『金田一少年の事件簿』などの、けれん味が強いエンタメ路線という方向性が一般に認知されていきました。でも、それも、長年やっているうちに、お客さんにとっても鮮度が落ちていくもので。2000年になると、金属疲労を起こすというか、自分の引き出しがなくなっていく感覚をもつようになりました。
──そんな時期もあったのですね。それがまた変化するのはいつ、どういうきっかけだったのでしょうか。
ちょうど、2000年に私は40歳になるにあたり、このまま仕事だけしていくのか、それとも結婚して子供を産むのかという分岐点に立たされまして、とりあえずやってみようと、結婚して出産したんです。 そうしたら、自分の人生の中に、仕事だけじゃない、もうひとつのラインができた。生活や子育てに自分の身を置くようになることで、子供を窓にして、テレビの視聴者の方々の状況や気持ちに寄り添えるようになりました。
──そうなると作るものは……。
変わりましたね。
──今回の『未満都市』は……。
20年前は、子供目線で、大人なんてさ……と言っていたのが、今は、10代の少年たちにどうやったら見てもらえるだろうという、反対の視点になりました。
──今回、観てもらうために工夫された点は?
20年前はけっこうえぐいんですよ。ナイフで刺すの刺さないのっていう場面があったり、松本潤くんが血みどろになっていたり、それを子供に見せたいかっていうと、親の立場としてはダメということになる。そうなると、そういう直接的なことをしなくても同じ気持ちになってもらえるような工夫をするようになりました。
──新しい表現の誕生ですね。
昔は、表現とメッセージが一緒だったけど、今は別になりました。
──テーマは、2017年版と97年版は変わってないんですか?
さっきも話したように、以前は“子供のほうが大人よりえらいんだ“というものでした。が、今回は、観ている十代の人に『あなたたちにはまだまだできることがあるんじゃないの』、『気持ちがあればできるよね、きっと』ということを伝えたいというか、感じてもらいたいということでしょうか。『もっと生きろ』『やりたいことをやってみて』って感じかな……。
──なぜ、そういうふうに思ったんでしょうか。
その話をすると、今の若い者は……という話になってしまいますが、昨今はリスクを侵さない子が増えていると感じます。自分が何をやりたいかということにもあまり興味ないようにも見えます。時代が豊かになり過ぎたのかもしれないですが……。でも私だって、20年前、年上の人から、そう思われていたかもしれません。やる気がないとか、何を考えているかわからないと思われていたかもしれない。でも、そんな私に、NHKの少年ドラマシリーズという球が投げられて、自分ができることを発見していくことに繋がった。だから今回、私も今の子たちに、何か球を投げたいという思いはあります。そういう意味では新作の『ぼくらの勇気 未満都市2017』を放送しますと発表した時、皆さん、わーっと盛り上がってくれたことで、まず、最初の球はちゃんと受け取ってくれていた気がして、嬉しかったですね。
──相当注目されていますよ。
旧作を観ていたという声がネットで多く見られました。覚えていてくれることは、3ヶ月ごとに放送されては消えていくテレビドラマにとっては幸せなことですから、本当にやってよかったんだなと思いました。
──DVDにならなかったので飢餓感もあったと思うのですが、それは偶然ですか。
VHSは出ていたんですよ。ちょうど、ビデオとDVD の切り替えの時期だったんですね。DVD 化されたのは『金田一少年~』くらいだったと思います。
──これを機に、過去の名作がDVD にならないものでしょうか。ところで、Huluで旧作が配信されていますが、映像がきれいですよね。
あれはリマスターできれいにしてもらったんです。新作の中で、20年前の出来事がフラッシュバックするので、昔の映像を、ソフトの販売元のVAPさんがきれいにしてくれました。
──最近、昔の映像がオンデマンドで見られるようになりましたが、アナログ放送時代のものは粗いものが多い中でーー。
きれいにできるんだって思いました(笑)
──映像の質も含め、当時と今とで、できることとできないことがあると思いますが。
いっぱいありますね。できないことがいっぱいあります。
──さっきおっしゃった表現の部分ですか?
それもそうだし、以前は、危ないことをいっぱいしていました。光一くんを海に落したり、飛んでいるヘリコプターのそばにあんなに近づかせることも今はできないでしょう。トラックの上に張り付いて、侵入するような描写もできないだろうし。公道の使用も、今は無理できない。何より今は、放送日の前日の夕方までに完成した映像を搬入しないといけないのですが、あの頃は、放送の当日まで撮っていました。
──放送当日撮ったのはどこのシーンですか?
9話で、ヤマトが、花のそばで籠城しているシーンですね。
──なんでそんなことになってしまったのでしょうか(笑)
わかりません(笑)
──今回の放送分で、こんなすごいことをしたという場面はありますか。
バスとパトカーのカーチェイスがありまして、それはやっちゃった感満載ですね。あとは、松本くんが大阪弁でまくしたてる場面があります。こんなことを彼にやらせていいのかなっていうようなシーンです(笑)
──主役のふたりは?
彼らとちゃんと膝突き合わせて語ったのは、20年ぶりくらいで。お互い、いまだに大人じゃないので、最初は照れて目を合わせない感じだったのですが(笑)、話しているうちに、ああそういえば20年前もそうでした、この人たちは変わってないなって。
──それがドラマにも生かされていますか。
そうですね。スタッフも出演者も、20年ぶりに会う人が多かったにもかかわらず、全然久しぶりって感じがしないと言っていて。それって、十代の時にすごく濃い時間を共有していたからだと光一くんがいいこと言ってました。光一じゃなくてヤマトが、剛じゃなくてタケルがいるって感じで、不思議と久しぶりという感じはなかったです。
──さきほど、お互い大人じゃないから目を合わせないとおっしゃっていましたが、いい意味で、屈折した心を抱えた方々ばかりなんだろうなと思うんですね(笑)。それが旧作のタイトルバックの、ニコリともせず立っている映像にも表れているなと感じます。あれはどなたのアイデアですか。
あれは堤さんです。
──あれを提示されたとき、櫨山さんはどう思いました?
ふつうに、なるほどって思いました。なんの違和感もなかったです。堤さんは、当時、テレビドラマに、PVや写真などの手法を、いとも簡単に持ち込み、非常にボーダレスな表現をしていました。当時、画角の右半分に顔が寄っているようなカットは、テレビドラマでは珍しかったし、照明を当てず、顔見えなくていいとか、セットに天井まで作って、全方向塞いでしまうとか、映画では当たり前でも、ドラマでは斬新なことだったんです。そこが彼のすごいところでした。でも、私は、すべて、そうだよね、うんうん、と思っていましたね。
──堤さんのそういうところを、全部、受け入れていた櫨山さんがいたから、ドラマは進化したんでしょうね。
たまたまですよ。たまたま『金田一少年~』がヒットしてくれたから、私も堤さんも今があるんです。そこは、剛に感謝ですよ。
──時代を変えたのは、堂本剛さんだった。
ほんとにそう思いますよ。『金田一少年~』以降、土曜9時の枠で、いろいろな作品ができて、けれん味の強いヒーローものが、ジャニーズの後輩たちの、十八番になっていったと思うと、堂本剛が、後進に道を拓いたといって過言ではないですよ。それこそ偉業です。15、6歳という若さでよくやりましたよね。
──今後、ドラマはどのようになっていくと思いますか?
多様化して、個々の入り口が深く狭くなっていくのかなと思います。レコード業界がいい例で、かつては、200万枚くらい売れることもあったでしょう。それがいまではCDが売れなくなって、ネットで1曲250円で買うみたいな世界になっていますよね。それによって、作り手と受け手の距離がなくなっているし、間に人が入らない分、マニアックにもなっている。そのため、マスのヒットがどんどん生まれなくなる状況はたぶん抗えないことで。たとえば、どこかで、見たい人にだけ向けて、1000円で売って、10万人くらいに売れたらいいっていう、そういう方向性に今後はなると思いますが、私はとりあえず今は、テレビというメディアの指向性のなさが大好きなので、客がどこから出ていってどう入ってくるか、わからないけれど、入ってきてくれるように、すべての死角を消して作り続けたいと思っています。
──死角を消す。
最初の話に戻りましたね(笑)。そうすることで、入ってきたときの爆発力を大きくすることができると思っています。でもね、死角を消そうとすることと客観的になることは相反している。死角を消すことは、どんどん近視眼的になる作業です。例えるならば、金魚鉢の中で一生懸命作品を作っていると、金魚鉢の全体の形は見えないじゃないですか。でも、金魚鉢の外に出たら、ただ見ているだけになるのでドラマは作れない。外から見て、その金魚鉢の評価をするのはお客さんの視点です。
──鳥の目と虫の目という言葉もありますが。
そういうものと近いかもしれませんね。いずれにしても、どちら側の目も必要で、それをいかにコントロールできるかが問われるところで。まだまだ研ぎ澄ませていかないといけませんね。
──最後に、『ぼくらの勇気 未満都市2017』は、これで完結ですか?また何年後ってことは。
これで完結じゃないですか?あ、クランクアップの時に剛くんが『また20年後に!』って言ってました(笑)
取材・文/木俣冬
『ぼくらの勇気 未満都市』が20年ぶりに復活した理由とは?日テレ櫨山プロデューサーに聞いた (otoCoto) - Yahoo!ニュース
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『ぼくらの勇気 未満都市』の20年ぶりに放送を決めた理由をプロデューサーが語る① - ジャニーズ記事情報保管所
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